平成16年(行ノ)第82号 損害賠償等請求上告受理申立事件
申 立 人 尾形 憲 外81名 相手方 国 外1名
上告受理申立理由書
平成 16年 6月28日
最高裁判所 御中
申立人ら訴訟代理人 弁護士 須賀 貴 同 訴訟復代理人 弁護士 古川 健三 申立人ら訴訟代理人 弁護士 一瀬 敬一郎 同 弁護士 内田 雅敏 同 弁護士 大久保 賢一 同 弁護士 鍛冶 伸明 同 弁護士 設楽 あづさ
本件は、以下の通り、法令の解釈に関する重要な事項を含む事件であり、かつ原審の判断には誤りがあるので、原判決は破棄されなければならない。
第1. 原判決は、自衛隊艦船の派遣差止請求の可否という重大な解釈問題について、法令の解釈を誤っている
1. 原判決は、「被控訴人防衛庁長官による自衛隊艦船の運航に関する権限行使は、基本計画に従い、内閣総理大臣の承認を得た実施要項によって命ぜられた事項であり、しかも、自衛隊の部隊等が実施する協力支援活動等として国会の承認によるものであって(テロ特措法5条1項)、基本計画の変更または実施要項の変更の手続(同法4条3項、6条6項)に則ってされなければならず、また、国会の不承認決議によって政府に自衛隊の部隊が実施する協力支援活動の終了の義務を負わせている(同法5条2項)などの法の趣旨に照らし、しかも、被控訴人防衛庁長官による自衛隊艦船の運航に関する権限行使が個々の国民の権利または利益に直接関わる性質を有するものではないから、被控訴人防衛庁長官による上記権限行使を司法的規制にかからしめることは、法の予定する手続を経ないで基本計画または実施要項を変更するに帰し、相当とは解されない」と述べ、かつ平和的生存権及び納税者基本権は民事上の差止請求の権利または利益たり得ないものと判示して、上告人らによる差止請求を却下した。
2. しかし、原判決の論理をもってするならば、差止対象行為の根拠法令の体裁如何により、差止請求権は不可能となってしまうことになるが、これは全く不当である。
民事上の差止請求権は、個人の人格権の保全という見地から判例法が培って来たものであり、その性格上、差止対象となりうる行為の主体や行為の根拠法上等には何らの限定を加えるべきものではない。北方ジャーナル事件(昭和61年6月11日最高裁大法廷判決)において最高裁は人格権に基づく侵害行為差し止め請求権を是認したが、その判示においても差止対象行為には何の限定も付されてはいない。
そして、個人の尊厳は数の暴力によって踏みにじられることは歴史が証明しており、むしろ多数決原理により行われる立法・行政府の行為に対してこそ差止請求を認めることが、個人の尊厳と平等原理によって立つ日本国憲法の理念に適合する。
3. これを裏付けるがごとく下級審においては、国または地方公共団体その他公的機関による行為に対する差止請求を是認する判決が相次いでおり、これが適法であることは判例として既に定着していると言って差し支えない。(東京高裁昭和62年7月15日横田基地騒音公害訴訟控訴審判決・判例時報1245号3頁、金沢地裁平成3年3月13日小松基地騒音公害訴訟判決・判時1379号3頁、大阪高裁平成4年2月20日国道43号線公害訴訟控訴審判決、判例時報1415号3頁)。なお、人格権に基づく差止請求権は、国以外のものでは、水資源公団に対する名古屋高裁平成10年12月17日長良川河口堰建設差止控訴審判決、東北電力に対する仙台高裁平成11年3月31日女川原子力発電所運転差止訴訟控訴審判決等で認容され、完全に定着している。
以上のこれまで積み上げられて来た、差止請求についての判例理論によるなら、差止対象行為の根拠法条の立法形式から、自衛隊艦船の派遣行為は差止請求の対象外であるとする原判決には、重大な誤りがあり、破棄を逃れない。
第2. 原判決は、平和的生存権の具体的権利性という重大な憲法上の問題について誤りを犯している。
1. 原判決は、申立人らの主張する平和的生存権及び納税者基本権について、固有の具体的権利ではなく、「一般的抽象的な状態」を示すにすぎないとして、申立人らの平和的生存権にもとづく差止請求を不適法として却下した。
2. しかし、以下の通り、平和的生存権は具体的権利性を有するものと解するべきであり、これに反する原判決には重大な誤りがある。
@ 平和的生存権は憲法上確立された権利である
「平和のうちに生存する権利」(前文2項)として日本国憲法上明記された平和的生存権は、すべての基本的人権の享有を可能ならしめる基礎条件を構成する権利である。戦争や国際紛争が立憲主義とそれによって守られるべき個人の人権にとって重大な脅威であることは、いまさら過去の凄惨な戦争体験を回顧するまでもなく明らかである。ただ、日本国憲法は、第2次世界大戦後に生まれた世界の多くの憲法が平和維持の問題を憲法体系の中に取り込む努力・工夫をする中にあって、特に際立った特徴を有している。
すなわち、平和のうちに生存する権利が、自由権や社会権、その他あらゆる権利の保障を実現する基礎となる権利(「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利(前文2項)」)であるとしても、この権利は、その性質上もっぱら国家権力の国内的行使との関係でのみ問題となる一般の基本的人権とは異なり、一国の意思のみで現実的に保障されうるものではない。
平和的生存権が真に保障されるためには、平和で公正な国際秩序の維持が前提とされるのであって、そのためには各国それぞれの平和への不断の努力が必要とされる。憲法前文が平和的生存権の享有主体を「全世界の国民」とし、「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位をしめたいと思う」と述べて、わが国が国際秩序の形成・維持に向けて格段の努力をすることを明らかにしているのはまさにその趣旨である。
とすると、憲法の定める平和主義、平和的生存権はこのような対外的関係における全体としての国民の権利を意味するものであって(佐藤幸治「憲法」新版562頁)、一般の基本的人権のように自国の国家権力との関係で個々の国民が国家に対して主張することのできる権利とはその性質を異にしている。
確かに、平和ならびに平和のうちに生活する権利にはそのような権利の本質から導かれる他の人権との相違があることは否定できない。また憲法前文第1項、第3項が本文の各条項に具体化されているのに対して前文第2項が憲法第3章中に直接対応する規定を有していないこともまた事実である。
しかし、このような平和という理念そのものの特殊性や条文上の体裁によって一律に、当該権利の憲法上の権利性はもちろん、その具体的権利性及び裁判規範性を否定することは妥当でない。 むしろ平和及び平和のうちに生存する権利が、本質的に一国の政策や国家権力の行使のみによって実現され得ない性質のものであり、常に国際情勢によって影響を受け、国際協力とそれを支える外交政策及び国内の様々な施策との関係で動的に維持、保障されていく性質のものであることからすれば、もともと平和的生存権を他の基本的人権のような形式、体裁をもって具体的権利として憲法その他の法律上特定することはできないのである。
そして、そのような平和的生存権の特質を前提になお、日本国憲法は平和の問題を「平和のうちに生存する権利」という視点からとらえ、これに権利性を付与し、かつ戦争をもってかかる「権利」の侵害として把握したのである。
平和の確立がその性質上、上記のような国際的ダイナミズムの中で多様な方法によって実現されるという特殊性からすれば、平和的生存権についてその具体化たる規定が憲法の本文に存在せず、具体的内容について立法上の定義付けがなされていないとしても、それはむしろ当然のことであって、具体化規定の不存在をもってその具体的権利性を否定する根拠とはならないはずである。
日本国憲法が予定している平和主義の内容は、その前文及び第9条から相当程度明らかにすることができる。前文第2項によれば、「日本国民は、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」つつ、「平和を維持し」、「専制と隷従、・・・を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占め」ることを追求し、「全世界の国民が、ひとしく」「平和のうちに生存する権利を有することを確認」するというのであるから、日本国憲法に定められた「平和のうちに生存する権利」とは、日本国民が平和的に生存する権利を享受するということを意味するにとどまらず、日本国が国際社会において名誉ある地位を占めるに値する方法でこの権利を保障していること、即ち日本国が自国民の平和を侵害しないことと同様に他国民の平和のうちに生存する権利も侵害しないことを意味すると解すべきである。
これを個々の国民に置き直して表現すれば、国民は平和のうちに生存する権利を国家によって脅かされないと同時に、日本国が他国民の平和を侵害しないよう日本国政府に対して要求することができ、もしも日本国政府がこの憲法前文に反して他国の平和、他国民の平和のうちに生存する権利を侵害し、あるいは侵害しようとする場合にはそのような行為の中止を求めることができるというべきである。
A 平和的生存権は、国際法、国際慣習法上の権利に普遍化されつつある
1978年に国連総会で採択された『平和的生存のための社会の準備に関する宣言』は、「すべての国民とすべての人間は、人種、信条、言語または性のいかんにかかわりなく、平和のうちに生存する固有の権利をもっている」ことを明らかにし、ついで、1984年に、国連総会は、『人民の平和への権利についての宣言』を発し、翌1985年には、『人民の平和への権利』に関する決議が出されている。こうした国連決議は、日本国憲法が明確に権利として確立した平和的生存権が、人権の発展論のなかでも『21世紀的人権』として評価されている。
日本国憲法は、国連の『平和への権利』論の先取りとして『平和的生存権』を掲げていた。日本国憲法前文では、全世界の国民がその権利の主体となっているので、裁判規範性を否定する見解、すなわち、裁判所でこの権利は主張できないとする考えや権利内容が明確でないという批判がある。
しかし、前述した国際条約上の『平和への権利』が戦争放棄を前提としていないのと異なって、日本国憲法の場合には、9条で戦争の全面放棄と非武装を掲げたことによって、その意味内容が具体化されているといえる。
したがって日本国憲法の前文と9条が結合することによって、日本国民の戦争を拒否する権利、政府に対して平和を求める権利、平和請求権というかたちでの、狭義の平和的生存権が保障されたと解することができる。
また憲法13条の生命・自由・幸福追求に対する個人の権利の保障という形で具体化され、戦争の全面放棄を前提とする生命・自由への侵害の排除と平和的環境の維持、平和的環境での生存を請求する権利等を主たる内容とする権利と解することができる。
憲法19条の思想・良心の自由、18条、13条、平和的生存権、そして9条という諸規定をトータルに把握すると『戦争に加担することを拒否する人権』として平和的生存権が確立されているといえる。
このように、平和的生存権は、『戦争に加担することを拒否する人権』として憲法の人権規定と一体となって具体的権利を構成する。戦争自体が最大の人権侵害であることから、「平和なくして、人権なし」「人権の確立なくして、平和なし」という平和と人権の相互依存関係として確立された権利といえる。
B 平和的生存権侵害に対する救済の必要性
法規範性に争いの無い憲法前文において、平和のうちに生存する「権利」が確認されていることは、憲法前文の起案に際してその参考とされた大西洋憲章において「あらゆる国のあらゆる人々が恐怖と欠乏から免れてその生を全うし得るという保障を与える平和が確立されることを希望する(下線代理人)」として単なる希望や希求の対象であった平和が、日本国憲法においては権利として構成されているという意味において、日本国憲法における平和的生存権の権利性とその救済を検討するにあたって無視することのできない事実である。またこのような明文上の体裁の相違は、日本が人類史上最初の原爆被爆国である(同時に最後の被爆国とならなければならない)という特異な立場にあって、他国にもまして平和に対して敏感に、また平和を侵害する行為に対してはより決然とした態度をもって行動すべきことを反映するものと解すべきである。
すでに述べた日本国憲法上の平和的生存権即ち、被害者にも加害者にもならない権利を実現するための手段として、憲法は戦争と武力行使を放棄し(9条1項)、戦力不保持と交戦権の放棄を宣言した(同2項)。憲法9条については、これを平和的生存権を保障するための制度的保障と定義づけ、制度への侵害と人権への侵害とを区別する考え方がある。
しかしながら、平和的生存権という権利を考えるにあたっては、ここでもやはり他の一般的抽象的な基本的人権の制度的保障の場面とは異なる配慮が必要というべきである。即ち、戦時下ないし戦闘状況下において、国益や正義の名の下にまた緊急事態や緊急行為という名目で数々の人権侵害が正当化されてきたことはすでに我が国のみならず世界中の国々が経験してきた事実であった。
日本国憲法はこのような人権侵害の正当化を許さないために、戦争や武力による紛争解決そのものが平和に対する侵害であると定義して、これを永久に放棄することを宣言したのである。そして、ひとたび国家が武力行使に踏み切って、自国または他国の国民の平和が侵害されてしまえば、これを正常な民主制の過程によって是正することは著しく困難、というよりむしろ不可能なのが通常である。平和的生存権保障においては、権利が具体的に侵害されてからこれに対する何らかの救済を考えることは遅きに失するのであって、そもそもそのような通常の人権保障方法は平和的生存権保障においては保障の意味をなさないというべきである。
3. 以上の通り、平和的生存権は、具体的権利を有するものと解釈しなければならない。しかるに原判決はこれを全く否定し去るものであって、到底容認しうるところではない。
それは、特に今日のように、自衛隊艦船のテロ特措法に基づく派遣から、イラク派兵さらに多国籍軍への自衛隊参加となし崩し的な憲法破壊が進み、これに伴い有事関連法案が成立して国民の市民的自由や財産権すら脅かされそうとしている現状のもとでは、なおさらのことであり、平和的生存権の具体的権利性と裁判規範性を確立することは、緊急の課題である。しかるに原判決は申立人らと申立人らが問題とする自衛隊艦船の派遣行為等との間には、「単に我が国の国民であるという以上に、具体的権利又は利益に結びつく特段の関係を有するものとは認められない」などと判示する。しかし我が国はもはや多国籍軍の一員として正式に戦争行為に加担しようとしており(平成16年6月18日閣議決定)、他方イラクでの米軍による捕虜虐待などの違法行為に対して国際的にも非難の声が高い中にあって、申立人らの本件請求の重大性はますます高まるばかりである。政府の憲法解釈は日に日に変遷し、好戦的な解釈に変貌しつつある。司法権が、平和的生存権の具体的権利性・裁判規範性を確立しない限り、司法権は今後、国民の自由権、財産権すら守ることができないこととなる。
4. 国連子どもの権利委員会は,日本政府第2回定期報告書を本年1月28日開催の第942回,943回会議において審査し,同月30日の第946回会議において採択した最終所見の中で,日本の立法及び司法と子どもの権利条約の関係に関し,次のような懸念事項と勧告を表明した。
『本委員会は、国内法が本条約の原則および規定を全面的に反映していないこと、ならびに、本条約が裁判所によって直接援用可能であるにもかかわらず、現実には援用されていないことを懸念する。(C 主要な懸念事項及び勧告 第10パラグラフ)』
また,国連の指摘を待つまでもなく,例えば元最高裁判所判事である伊藤正己氏は,裁判所が人権条約・人権規約を援用することに消極的であるとして、特に人権規約による保障は憲法の人権保障と同趣旨として憲法をこえた保護を与える部分をもつ法令としてとらえ、人権規約に反する公権 力の行使が適用違憲であると構成すること等の方法を提起している(伊藤正己「国際人権法と裁判所」国際人権創刊号11頁)。
これらの指摘を踏まえるならば,平和的生存権は,子どもの権利条約前文,3条,6条,22条及び38条等の諸規定を具体化する国内法としての裁判規範性をもつものと解すべきであり,アフガニスタン侵略戦争への日本の加担行為は,平和的生存権を侵害する違法行為であることは,明らかである。したがって,平和的生存権の具体的権利性を認めず,申立人らの差止請求を却下した原判決には重大な誤りがあるといわざるを得ない。
第3. 結語
以上の通り、原判決には、自衛隊艦船の派遣差止請求の可否及び平和的生存権の具体的権利性と言う憲法上・法令上の重要な解釈問題についての極めて重大な誤りがあるので、直ちに破棄されるべきものである。
以上